-
令和五年十二月御神話解説
-
十二月に入りました。皆様お元気ですか。今まで夏だった季節が、一気に冬となり最低気温が十度を切って、最高気温も今日は十二度までなのだそうです。早いもので、もう一年が過ぎようとしています。コロナも少し収まって、第五類に移行となり、今まで禁止されてきた対面の忘年会や、クリスマス会が予定されています。賑やかで、楽しい事ですが、以前コロナもインフルエンザも燻っているので、注意が必要です。
この一年を振返って、良かった事、悪かった事、色々ありますが、ああすれば良かった、こうすれば良かった、と後悔すること事もあります。御教祖様は、済んでしまった過去の事を色々と思い煩わず、未来を憂う事無く、今の今を大切に精一杯生きる事が、一番と教えて下さっています。
十二月は、何かと気忙しく、忙しくなって来ますが、忙しいからと言って心を無くしてはなりません。今月の十六日は、年末大祓となっておりますが、大祓の大は、大祖大神様の大で、祓いは、神の心を友とせよ、というのが大祓の意味なのです。十二月の忙しさは、心を無くしてしまいがちですが、心を忘れると、真に大切なものを取り逃す事になるので、忙しさに取り込まれる事なく、神様に心を合わせる事が大切です。
今大祖教では、人数が少なくなって来ていますが、御教祖様は、少なくとも良い者だけが残った。砂金の様なものがお前達であると申されています。ですから、己を安く買ってはなりません。自分の価値を高く測って、自分の事は後回しにして神様の道に使う事が出来たら、徳は倍になって返ってきます。神様の道に進む人は、滅びません。生きる力をいただけるのです。そして、行く道に光がさします。
この一年は、戦争のニュースで明け暮れた気がしています。ウクライナのロシアの侵攻、ハマスとパレスチナの戦争と、日々まともに直視出来ない場面がテレビのニュースがで流れています。自然災害で、人間が沢山亡くなるのはどうする事も出来ないけれど、それだから尚、人間が人間と争って命を落とす様な事は、絶対あってはなりません。数千の又は万単位の人の命が亡くなったニュースを聞けば、折角神様から頂いた命を、何故そんなにむざむざと捨てられるのかと、無念に思いました。どなたもそうだと思います。神様は、絶対そんな事は望んでおられません。
パレスチナとハマスは、停戦九日目に入り、もう一日停戦を伸ばして、人質の交換、ガザに必要物質の搬入、医療品の運び込みを加速しようと、間に入ったカタールは頑張っています。本当に少しでも停戦が続き、たとえ一人でも二人でも命が助かって欲しいと願わずにはいられませんでした。御教祖様の御教えの大きな柱が、世界平和です。
ハマスとパレスチナの停戦の仲介役をしたエジプトやカタールは、それは大変な骨りをして、停戦に漕ぎ着けたそうですが、本当に有難うございます、という気持ちです。聞けば、パレスチナの市民の大半は、停戦を望んでいて、その国民の声に押されて、自分の政権の人気が下がるのを恐れて停戦する事となったそうです。だから、大勢の人が戦争反対の意思表示をするのは大事な事で、その声が大きくなって戦争終結へ向かうといいなと思っています。来年は、戦争のない平和な世界となりますように、願っています。
-
令和五年十一月御神話解説
-
皆様、お元気ですか。十一月に入りました。気温も、やっと朝晩は涼しい位に下がって来ました。十一月は、御教祖様のお誕生日月です。先月も申し上げましたが、御教祖様は、新暦の大正四年十一月十四日にお生れになりました。旧暦の十月八日です。幼き時より、非常に聡明で、洞察力に優れ、普通の人には持つ事の出来ない霊感を全てお持ちで、人間の魂がどの様な物かを見て居られました。
私の家にしばらく滞在された事がありましたが、ある時私とお話をされていた時、「私が貴方の前に立つと、私は鏡で、貴方が写っているのですよ。」と申されました。私は、その時は、どういう事なのか、よく分かりませんでした。今考えると、御教祖様は、人の心が全て何を考えているか、どのような状態にあるかを良くご存知で、鏡の様に前に立つ様に、人の心が分かってしまうのだと、今考えると、色々足りない自分の心を、全てお見通しだったのだろうと、恥ずかしい限りです。
ある時、ひどい風邪を引いていた家の娘が、御教祖様にお手紙を差し上げました。「御教祖様、いつまでもお元気でいてね。」と書いてあったそうで、その後、御教祖様はひどい風邪を引かれて、家の娘はすっかり風邪は、治って元気になったのです。母も捻挫をした時、御本部にお参りをして、神踊りの時、御教祖様の前を通ったら、跡形も無く足の腫れは引いていました。しかし、後で聞くと、その時御教祖様の足が紫色に腫れあがっていたそうです。
この様な話は、山ほどあって、私の家に来て頂いた時も、私はお世話をさせて頂いていると思っていましたが、そうでは無く、私に掛かっている難を解く為でした。占いで、私は手足を失う難が来ているから、気を付けて、と姉は言われていた様で、私は、その後高速道路で交通事故に遭いましたが、車の前のヘッドライトが、壊れただけで、私は無事でした。この難を逃れるためには、お年寄りをお世話する事が、難を逃れる手段で、丁度この時期に御教祖様が、私の家に来られたのです。今、私が無事でいられるのは、御教祖様にこの時助けて頂いたからです。御教祖様は、この様に、ご自分の身に代えて、私達天使、信徒を御守り下さいました。
神様、御教祖様は、人間には見えていない物が見えています。だから、御教祖様が言われる人間の五感に頼るな、と言われるのも納得致しました。ですが、いつも私は、病気治しに来たのでは無い、といつも申されていて、世界中を天足通を使って、国鎮めをなさったのです。その結果、小さないざこざがあっても、世界は平和で、気候も左程の変化はありませんでした。御教祖様が、昇天なされてからは、徐々に気温は上昇、世界平和も色々と綻び始めています。
だんだん生き辛くなって来ている今の世の中で、いつも支えになっているのは、大祖教の御教えと、大祖神大神様、御教祖様、御先祖様の御守護です。御聖典にあります様に「永久に 十方金剛神の国」とあります様に、神様の世界は、人間界の様に壊れる事はありません。日本は一番神様に近い長男国とされていますが、是非、本当の神の国になる様に、頑張って行きたいと思います。
-
令和五年十月八日御神話解説
-
皆様、お元気ですか。
お彼岸も過ぎましたが、暑さは、中々収まりません。
最低気温が、今日も二十五度を降りません。早く、涼しくなって欲しいと思いますが、季節は、どんどん進ん でいます。
本日は、御教祖様のお誕生日です。お目出とうございます。
御教祖様は、旧暦の十月八日に誕生なさいました。新暦で言えば、大正四年十一月十四日です。
ですから、大祖教では、この三日間を大切にしています。
御教祖様は、御存命の時は勿論、天界に昇られてからも、大祖教の天使信徒をしっかりと暖かくお守り下さっています。
本当に有難う御座います。
私は、先日ウクライナ人道支援の為のチャリティーバレエコンサートに行って来ました。
九月二十五日月曜日、フェニーチエ堺大ホールで、家から近い会場だったので、行きました。
バレエが主体の舞台と思っていたのですが、ウクライナの民族舞踏、バレリーナの針山さんの「瀕死の白鳥」、
バイオリン、チエロ、金管楽器、ドラムセット、七人編成のウクライナ民謡の演奏、和太鼓の演奏、お琴の演奏、
其々のバレエとのコラボと、非常に盛り沢山のプログラムでした。
会場は、三階席までほぼ満席になっていました。
平日で、しかもバレエを初めて見る人が半数位居て、ほぼ半数が、男性でした。
千九百人が集まったそうです。なかなか普通のコンサートでは、人集めが難しいのに、
人道支援のコンサートにこれだけの人が集まって、人の心の暖かさに触れた気がして、少し気持がほっこりしました。
御教祖様も、人間の心は、いつも暖かくなければ行けないと申されています。
御聖典にも、どれだけ強い信仰であっても、愛の泉を知らぬなば、神は出ぬよ 心悟(みがけ)ば大無我一体(かみきたる)なり、
と教えて頂いて居ます。
和太鼓の演奏は、特に素晴らしくて、力強く、ホール中に響き渡りました。 私もお腹の底まで、響き渡った気がしました。
太鼓は、不思議な力を持っています。
お腹の底まで響き渡る音を聞いていると、細々としたこだわりが、吹き飛んでしまいます。クヨクヨと心配した事も、何処かに行ってしまいました。
本部の太鼓にも不思議な事がありました。
本部の機能が果たされていなかった時、太鼓が鳴らなくなったのです。
私達は、本当に心配しました。
どうしてなのかと思いました。そして、太鼓が鳴らないなら、潰れているのかも知れないから、買い替えようかと言う話迄出ました。
でも、そうではなかったのです。
本部の機能が回復して、元通りに行事もできる様になった頃から、元通り太鼓は鳴る様になりました。
本部の太鼓は、心霊の働く神様の太鼓なのです。
私達天使信徒に、神様の御意志を示してくださっているのです。
ウクライナは、農業国です。ウクライナの水色と黄色の国旗の色は、果てしなく広がる青空と、 黄金色に輝く広大な小麦畑を表しています。
小麦などの穀物も豊富に収穫できる事から、「欧州のパンカゴ」と呼ばれています。
ウクライナの人達は、芸術を愛して芸術家を育てています。特に バレエが盛んで、世界的なバレリーナが沢山出ています。
ロシアのウクライナ侵攻により、二百人以上のダンサー達が、外国に逃れました。
穀物生産の世界第三位であるウクライナは、世界中に穀物を供給しています。
しかし、ロシア侵攻のお陰で、世界に穀物を届けることが出来なくなりました。
日本も例外ではなく、特に小麦は非常に値上がりしています。
食料不足のアフリカや中南米では、穀物が運ばれない事により、餓死する人も出ていると言います。
世界中が困っているのです。是非、早くロシアが戦争を止め、ウクライナに平和が訪れます様に、心から願いました。
そして、バレリーナの人達も、この戦争によって、自分の道を閉ざされる事のない様に、して欲しいと思います。
御神話によると、人間には、各々生まれつき神様より頂いた任務があります。
あれこれと寄り道をしないで、ただ一筋に遅くともにしにしと登っていく人は、やがては行き着く事が出来て、
神様の任務を果たす事ができると教えて下さっています。
歴史的に見ても、芸術的なものは、戦争によって壊される事が多々ありますが、人間の文化が、戦争によって壊されることの無い様に、
これからも声をあげて行きたいと思います。
「宗教法人大祖教住吉教会開教記念祭のお知らせ」
日時 令和五年十月十八日午前十一時より
場所 住吉教会
住吉教会は、第六十三回の記念祭となります。
皆様、お揃いでお参り下さい。
お待ちしております。令和四年十月十八日 大祖教大天使
-
令和五年九月御神話解説
-
九月に入りました。暑さも依然衰えず、三十八度を超える日もあり、猛暑が続いています。八月は台風も次々と来て、日本列島は大雨となり、とうとう八月十五日の夏季霊光祭に、高速道路は通行止めとなり、御本部にお参りする事が出来ませんでした。御本部の行事のある日に、お参り出来ないのは、前代未聞の事です。各々の天使は各自の御家の御分霊の御前にて、霊光祭のお勤めをさせて頂きました。私は、住吉協会にてお勤めをさせて頂きましたが、自宅から三分の所が、大雨で中々行けませんでした。先月お話しした野の水の徳が、無くなっているのだと痛感しました。
八月十五日は、又終戦記念日でもあります。ロシアのウクライナ侵攻の事もあり、NHKでは競って戦争特集をしています。戦争は、二度と冒してはならない大罪ですが、その最高責任は、天皇にありました。敗戦となった時、昭和天皇がマッカーサーを訪ねました。マッカーサーは、その時、昭和天皇は、自分を防御する為にやって来たのだと思っていました。しかし、昭和天皇は、「この度の戦争責任は、全部自分にある。自分が、この戦争の最高責任者である。だから、戦勝国となったあなたの国の裁断に、この身をお任せする。」と申されたそうです。少しも自分を弁護する言葉は無く、命乞いをする事も無く、その会見は終わったそうです。
マッカーサーは、この天皇の真摯な態度に心打たれ、この天皇をなくしたら、日本の国民は、立ち上がれないだろうと考えました。そして、あらゆる手段を尽くして、天皇を裁判にかける事を止め、この為昭和天皇は、裁かれる事無く、日本の天皇として存続する事となったのです。
御教祖様も、この事を御神話で話しておられて、敗戦となったのは、間違った事をしておいて、今に神風が吹くと思っていた、日本人の心の奢りを正す為と申されています。しかし、昭和天皇は、自分の身を捨てて戦争責任を取った事により、その心境の高さと捨身の行により、命を助ける事にした、と申されています。
神様が、命を助けようと思われたら、それはとても妙妙で、アメリカ本土でも天皇を裁判にかけるべきとする人が大半でしたが、マッカーサーは、それらを全部封じ込めて、天皇の命を助けたのです。神様が味方をして、助けようと思われたら、こんなに強くて、妙妙に事が運ぶのだとい、私は、この話をテレビで見ていて、胸が一杯になりました。歴史を顧みて、戦争は二度とない様にしたいと思います。本日は、昭和五十年九月八日の御神話より、お話させて頂きます。九月より、人間の人の行の時期に入ります。一月より四月までは、神様の世界の行、五月から八月までは、先祖に対する行の時期です。人間界は、適切にと言うことが大事で、そこを見極めなければなりません。神の道も、自分はどこが多すぎるのか、どこが足りなさすぎるのかを良く見なければなりません。
十方界に上がるまでは、自分の足りない所が試験に出るので、その点を注意して、試験にパスする様に、努力が必要です。九月に入り、特にその試験が難しくなります。忘れてはいけない事は、いつも、何処にいても、神様と共にあるという事です。そして心の鉛を溶いて、再びこの人間の業の中に、生まれて来ない様に、本当に価値のある精製された人間として、生まれる様に、神様は、望んでおられます。
天使には、天地の左右の神様が、しっかりと後ろに付いて守護しておられます。天使が働けば、後ろについている守護神は、非常に喜んで一心不乱に働いてくださるので、ああでなければならん、こうでなければならんという、ねばねばとこだわる事を止め、進んでいけば、六段から八段へ、さらに十段目指して進めるのです。
この試験にバスするのには、只々、一家も夫婦も子供も仕事も、神様とともにある事を忘れないで欲しい
と御教祖様は申されています。
-
令和五年八月御神話解説
-
皆様、猛暑が続いていますが、お元気でお過ごしですか。水分、塩分をしっかり取って、熱中症にならないようにして下さい。
先月は、三日の山開きのお話をさせて頂きましたが、本日は、野開きのお話をさせて頂きたいと思います。人間が生きて行く為に必要な五行の徳がありますが、山の徳は火木金土と四つが山にあり、野の徳は只ひとつ水です。地上の物質で申すならば、土地です。土地の所有の出来る人、出来ない人、それは野の徳の有るか無いかです。
勿論、野に出来る食物一切は野の徳として神様から頂いています。日々人間の血となり肉となり、カロリーを与えてくれています。日本で言えばお米が一番主食となっています。野にできる一切の物、それと土地関係が野の徳で、それに山の徳である火の徳が深く関連していて、火の徳が無くなれば、母親を亡くする運命となります。母親無しで苦労する運命となるのです。
野の水の徳は、水道、井戸などがあって、この水の徳が無くなれば、地上の大地は痩せた土地となり、物が育だたなくなります。家庭に於いても、水の徳がかせていくと、子供を育てる力が無くなってしまうのです。よってただ一つの水と想いの外、この水無くては人間は生きて行けません。五行の火水木金土のどれが欠けても、人間は生きて行けないのです。五行は人間の世界、霊界、天界と手を繋いでクルクルと廻っています。
火は土を生じ、土は金を生じ、金は現界の紙幣も含めての通貨、金の元祖は土で、土と金は手を繋いで、金は水と手をつないで、水は木としっかり手を繋いで、木からは火を生じています。この五つが手を繋いで、クルクルと、天界霊界現界を廻って、人間の必要物を満たしているいのです。
野の徳は、人間の身体で例えれば、心臓です。天地人で言えば、山が天、海が地、野が人です。この人が大事な野の徳、水が欠けたならば心臓部が欠けた事になります。神の存在を知り、神の神徳は降りても、先祖の徳を称えて、先祖から徳を頂いても、野の徳は又別です。野の徳は、人徳が無ければ頂く事が出来ません。人徳は、自分の人間としての価値をしっかりと知って、実る方向に努力するならば、陰徳が付きます。この隠匿が、野の徳となります。
私達を守護してくださる神様は、山に千年、野で千年、海で千年、三千年も苦労に苦労を重ねて行をして、初めて守護神と成れるのです。人間もこれと同じく、社会に於いても、家庭に於いても、行をなさってる守護神と同じく、神様の寸分に合わせる修練を絶えずしなければ、神と離れてしまいます。例えば、竹は真っ直ぐで、松は歪んでいますが、各々、自分が正しいと思っています。しかし、神様の御意志としてその様になっているので、自分だけが正しくて、相手が間違っているわけではありません。各々が違った姿をしながら、各々、神様の使命を果たしているのです。
だから、白人、黒人、黄色人種、身分の上下など、特に人間社会で決められた差別は、神様の世界では存在しません。白人が優れているとか、身分が高い人が偉いとかは、一切ありません。全て神の前では命の尊さに於いて平等です。そこを間違うと、野の徳は一切無くなってしまうのです。
昨今の様に、大雨や洪水の災害が非常に多くなって来ているのは、人間が神の意志から離れて、野の徳を失っている事の現れです。もう一度、自分を良く見直して、各々の人が、何処が神様の道から外れているのかを、よく見る必要が有ります。御教祖様は、一番の近道は、真心であると教えて頂いています。徳は遠い所にあるのでは無く、自分の身近にあるので、真心を以て、不運と悪を叩き割って、神様の懐に飛び込む様、努力して欲しいと申されています。
-
令和五年七月御神話解説
-
七月に入りました。皆様お元気ですか。季節はどんどん進んでいき、梅雨も末期の大雨が降り続いています。朝も二十五度の夏日となり、暑さに突入しています。疲れやすい時期です。体調に注意して、健康に過ごして下さい。
先日の七月一日には、御本部におきまして「海山野開き祭」をさせて頂きましたが、昭和三十八年、三十九年には、一日海開き祭、三日山開き祭、八日に野開き祭と、それぞれお勤めがあって、御神話を下さって居られます。本日は、その中からお話しさせて頂きます。
神様は、第一に山を作られました。御自分の身体の一部からダイヤの山を作られたのです。第一の山は地球、第二は月、第三に火星という様に、次々と作られました。そして太陽と月も創られて、星は星、月は月で、それぞれの役目で動いています。地球のダイヤの山に、神様は人間を育てる為に木を植えられました。その木に御自分の気持ちを入れられて、それは青い光となり、それを地上の山に種としてばらまかれました。それが成長して山の木となったのです。そして、色々と工夫をして、花を咲かせ、実がなるようにされたのです。人間を創るのには、更に苦心惨憺をされました。あれをしたり、これをしたりして、やっと、ある朝木に咲いた花の中に花の精が生まれて、これが人間の元になりました。一番初めに地上に木が出来た日を記念して、山の日とされたのです。
そして、更に改造に改造を重ねて、今の人間が出来上がったのです。大祖教の御聖典の中に、「松竹梅の道」がありますが、山の木が神様の魂よりできていると聞けば、納得がいきました。「松竹梅の道」は神様の御心です。人間を山で育てて、次に海を創くり、その次に野を創られました。そして色々と改良されて今の地球になったのです。星は星、太陽は太陽と、各々その使命を神様より頂いて、この宇宙は出来上がりました。
人間は、神様の気持ちの入ったこの山の木によって育てられています。この育てて貰った恩を忘れ、親である神と離れた行為の分量が不徳となり、何事も何事も上手く行かなくなるのです。このつもりに積もった不徳を精算して、神様の言われる上の世界にいくのには、「捨身の行」が要るとされています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と諺にもありますように、自分の一切のこだわりを捨てなければ、捨身の行は出来ません。ある天使が、夢のあで、飛行機に乗っていました。そして神様より「下の海に飛び込め。」と言われて、その人は即座に海にd飛び込んだそうです。そうしましたら、そこは非常に広い世界と、世の中が広がっていました。
その人は、一切の自分のこだわりを捨てた事で、自分の卵の殻を破る事が出来て、それからは、自分のなす事、する事全てが上手くいく様になり、「ゆきゆきて落ち着く先は花の山」となったのです。大祖教は、身体を痛める行は、良しとされておりません。そして、生命を第一に尊ぶ宗教なので、現実的には、空から海に飛び込むというような行はありません。これは、神様に対するその人の心を見ておられるのです。
この世に一番初めに出来た山の精はダイヤです。このダイヤの精の徳は通貨で、山に植えた木から出来る家、住まい、その様な徳がどんどん流れて来ます。山は神様の心臓部に当たる為、登れば登る程、その通貨の徳は太くなります。三日の山の日に徳を積む人は、通貨の徳を豊かに頂けます。如何なる重罪の人も、普段は神に近寄れなおい業性の人も、この三日の日のみは、その人の心掛け次第で山に登れて、その人の重罪も解く事が出来るのです。
人間は、肉体は大事にしますが、心を大事にしません。心に栄養を上げません。その結果は、心は寂れて寂れて地獄の果てまで落ちて行くということになります。そうならない為に、心に栄養をあげて、この天地の理、人間は神の子であるという事をしっかりと心に留め、非常に高い神通力を持つダイヤの精が逃げていかないように、この山の目標を第一に置く事が大事です。そうすれば、海の赤い精も、野の紫の精も共に働いてくれるのです。
現界の徳ばかりを追いかけても、又逃げて行ってしまうので、しっかりとこの山の道を根本として進む様、そして、捨身の行で、行く事が一番に近道であると教えて下さいました。
-
令和五年六月御神話解説
-
皆様、お元気ですか。緑の濃い六月を迎えました。
平成五年も、早や半年が過ぎています。先日の広島のG7では、無事に終了し、本当に良かったと思っています。安倍元首相の暗殺事件、岸田首相の爆薬事件など、色々あったので本当に心配しました。警備に当たった人は本当に大変だったと思いますが、二つの事件があったからこそ、出来ないところまで行き届いていたという事があったのかも知れないと思っています。
途中から、参加されたウクライナのゼレンスキー大統領に皆の注目が集まりました。うまい演出だなあ、と感心しましたが、原爆ドームを見学した後、彼は「ウクライナは、原爆ではないが、ロシアからの爆弾やミサイルにより、広島と同じ荒漠とした廃墟になってしまった。」と悲痛な面持ちで語った時に、私は、胸を撃ち抜かれた気がしました。祖国を無惨に打ち壊されて、壊滅的になってしまっている現状で、その深い悲しみと、怒りとが、ひしひしと伝わってきました。祖国を本当に愛して、自分の手で取り戻すのだという強い意志が感じられました。原爆を使っても使わなくっても、戦争とは、こんな物なのだと、思い知りました。
御教祖様は、戦後荒廃した世界を救おうとして、大祖教を立ち上げられました。開教当初は、あまりにも縋り付いてくる信者の為に、病気も治し、就職や結婚の相談にも乗ってくださり、子育てやあらゆる信者の悩みを解消して下さいましたが、御教えの根幹となる所に、生命の尊厳、原水爆禁止と、世界平和を謳って居られます。私は、病気治しではない、地球を救うためにやってきたとおっしゃって、このままでは、地球は自壊してしまうとして、ご自分の命を投げ出して、世界鎮めをなさいました。その結果、日本は平和ボケと言われるまでに、平穏な時期が続きましたが、御本部が正常で亡くなった頃から、大きな台風は来る、大水で川は氾濫する、大きな地震は来るで、異常気象が始まってしまいました。
この度のG7では、先ず原水爆禁止、ウクライナとロシアの戦争では自分勝手な理由での侵攻を続けるロシアを撤退させる事、ウクライナを支援する事など話し合いました。心ある常識を持ち合わせている人ならば、今のこの地球の現状は、非常に厳しい物であると感じていると思います。広島の原爆資料館を見たG7の首脳達は、皆原爆の恐ろしさ、悲しさで胸を突かれた様子をしていました。そして、広島の記帳台に全員の方が、この地球に戦争がなくなり、平和が来ることを願っていました。自国に帰って、多分原水爆禁止に、世界平和に向かって、頑張ってくださると期待しています。
私達も、どんな状況になっても、ゼレンスキー大統領の様に諦めず、日本は特に神様の御守護の強い国なので、御教祖様が一生かけて願われていたこの地球が壊れない様に、世界が平和である様に、神様に祈りながら、道を間違えない様に頑張って進みたいと思います。
-
令和五年五月御神話解説
-
令和五年五月御神話解説
皆様、お元気ですか。
新緑の美しい五月を迎えました。
五月は、開教記念祭があって、この五月の二十七日に、執り行わせて頂きます。
いつも大祭の時にはピアノ独奏と天女コーラスの伴奏をさせて頂いておりますが、コロナも大分落ち着いて来ました。
御本部も正常化されてから三年が経ち、今までは、通り一遍の事しか出来ませんでしたが、
今年は、今までとは違ったものをやりたいと思うようになりました。
昭和五十一年五月八日の御神話を読んでみますと、この年は、大祖教の三十周年記念祭に当たり、御教祖様は、石垣を完成されました。
今でも五段坂から登ってきますと、まるでお城の様に聳え立つ石垣は、とても立派です。
そして、この石垣の完成を祝って、時計と重ね餅を天使信徒に下さいました。
時計というのは、鶏の象徴です。鶏は時を告げる鳥で、現界の時間を司っています。
この現界の時間の徳を御教祖様はくださったのです。
重ね餅とは、少しまだ徳の足りなかった人に、もう一度徳を積みなさいという神様の御神事です。
現界においては、この世は全て観音と呼ばれる音で、音のリズムに乗った音楽は、その音の力によって、聞く人の心を精製します。
例えば、ベートーベンが心眼を開いて、聞く人の心を開かせた様に、目に見えた、耳で聞いた以上の事が出来てきます。
これを読みますと、御本部でピアノを弾かせていただくのは、本当に責任が重大だと思いました。
しかし、私は、ベートーベンの様にと言うのは無理なので、私に出来る事は、今までの自分を反省して、
心を込めてピアノを弾かせて頂き、心を込めて歌を歌わせて頂きたいと思いました。
そうすると、今まで見えなかった事が見えて、今まで出来なかった事が出来て、世界が違ったものになった気がしています。
大祖教は、心をあげる事を目標としているので、ぜひ、心のリズムを上げる事を目標にして頂いて、日々を健やかに御過ごし下さい。
-
令和五年四月御神話解説
-
皆様、お元気ですか。四月は、花残月と言いますが、日本列島は、花満開の季節となり、梅の花に続いて桜前線が日本列島を横断しています。先月のWBCでは、日本が優勝して世界一の座を射止めました。日本中が喜びに湧き、今までのコロナや、その他の重苦しい空気を一変してくれました。家の庭では、海棠が満開となり、水仙の花が、黄色や白で庭中を爽やかに彩っています。
三月、四月は一年中で一番華やかで、心躍る時期なのです。美しい花を見ていると、心はほっこりとして暖かい気持ちになります。この気持ちがとても大切で、御教祖様は、この温かい気持ちを一年中持ち続けなさい、とおっしゃいました。近年は、コロナや、ロシアのウクライナ侵攻、あちらこちらで起こっているいる大地震、暗くなる事がとても多かったと思いますが、今や春、暗い事は吹き飛ばして、心の洗濯をしたいと思います。
四月は、日本は年度始めとなっており、今年はコロナがようやく収まりつつあって、入学式や入社式があちこちで行われています。人生の大きな区切りの時ですが、入学式や入社式でなくとも、年度始めは新しい年度に誰しも頑張ろうと言う気持ちになれます。御教祖様は、今の今を生かして生きる事が大切と教えて頂きました。今までに後悔する事がどれだけあったとしても、精算して無しにして、自分の今を大切に行きなさいと言われています。
過去の古い事は振り捨てて、自分も相手も過去を責めてはいけません。今立ち直っていたならば、今が一番新しい種を撒く時期なのです。過去に拘って、あの時はこうだった、ああだったと言う、女々しい事ばかり繰り返すのは止めねばなりません。今の自分を最も大事にする事が、本当に生きている姿です。「生きて生きて生き抜こう」これが、御教祖様のお言葉です。
-
令和五年三月御神話解説
-
皆様、お元気ですか。三月に入り、寒かった気温も急上昇して、今までの最高気温が最低気温に、
最高気温は、今日などは五月初旬の気温二十一度まで上がっています。
3月は弥生月です。花の季節に入りました。今、家の庭では梅の花が満開を迎えています。
二月のまだ寒い時から花をつけ始め、寒さに凍えながら、ある時一輪咲いているのを見つけて、心がほっこりしたものです。
少しずつ少しずつ花は増えていき、なんとも言えず気品のある美しさに、しばし立ち止まって見入ってしまいました。
私は、中学の時に美術の本で、尾形光琳の紅梅白梅図を見て、なんと綺麗な絵なんだろうと、胸打たれたのをおばえています。
その気品のある美しさ、桜の花の艶やかでな華やかさとはまた違った、なんとも言えぬ上品なたたずまいが大好きです。
去年は、梅は少しも花が咲きませんでした。それは、住吉協会でもそうでした。
住吉協会の梅は、老木である時台風で、木が折れて大きな幹が裂けてしまいました。
もう駄目かと思いましたが、健気に残った僅かな枝に花をつけました。毎年それは一生懸命咲きました。
でも、本部がその機能を発揮しなくなった時、家の梅も、住吉の梅もほんの少ししか花をつけませんでした。
梅は神木なので、心が痛みました。
でも、本部が正気に立ち返って、元のように活動が出来て来たら、今年は沢山、溢れる様に花がつきました。
とても嬉しかったです。梅の木には、心霊が働かれているのだと思います。
御聖典の松竹梅の章で、梅が詠われています。梅は、雪の中でも気高く、美しく寒さに負けず強く咲いています。
そしてその優しい姿は、人の心を優しく包んでくれます。
御教祖様は、人間の人生もかくあれと、教えて下さいました。
如何なる難儀が来ても、それを乗り越えて、ただ一筋神様の道に沿って時を過ごして生きて行く、
そういうしなやかで強い生き方を、梅が教えてくれています。
三月は、花の季節で次は桜が待っています。美しく艶やかな桜を楽しみに、日々を心豊かに過ごしていきたいと思っています。
皆様も、どうか毎日を、心明るく楽しく御過ごし下さい。
-
令和五年二月御神話解説
-
皆様、お元気ですか。
二月三日の節分も過ぎて、現界の人間の世界、神様の世界共に、新しい歳となりました。
一月この方、十年に一度の寒波が押し寄せて、日本列島は凍りつきました。
この所経験のないとか、気象台始まって以来とかの異常気象が随分多くなってきました。
皆様の所はどうだったでしょうか。お見舞い申し上げます。
トルコ地震に、心が傷んでいます。
マグネチュード7、9の地震が繰り返し襲ってきて、その有様は、正に地獄です。
阪神大震災の時の事をまざまざと思い出しましたが、実は、時が経って見ると、阪神大震災は、まだまだ軽傷で、
その当時は、大祖神がおられる所で何故と思いましたが、今は神様のご守護があって、被害がそれでも少くて済んだのだと思っています。
トルコ地震の映像を見ていると、今ここで命があり、生きている事が有難い事なのだと、しみじみと思いました。
かって地震のあった神戸から、すぐに救援隊が送られましたが、話を聞くと、地震の時トルコの人達が神戸に来て、助けてくれたそうなのです。
困った時は、お互い様で、人間は持ちつ持たれつ、本当に大事な事なのだと思いました。
色々な国から援助隊が行っていますが、被害はどんどんとふくれ上がり三万人以上が亡くなったと言われています。
もう一周間経ちましたが、どんどん生存率は下がっていきます。どうか、一人でも多くの人が、助かる様に願うばかりです。
大祖教は、実行主義です。言うより実行しなければなりません。
本当に実行して、当たって砕けろの精神が必要です。一で行かなければ二の手を出し、二で行かなければ三の手を出す。
それが英知で、応用のきかない人は賢いとは言えません。
英知を持ってやりぬく。この現界を悠々と生きて勝ち抜く事が目標です。
勝ち抜くとは、この世に勝つ。負けてはなりません。
大祖教の一番の価値は、御教祖様の残された御神話にあります。
そしてそれを、感謝祭で聞かせていただける事です。
勿論お参りをするだけでも身を清めていただけますが、御神話を聞かせて頂き、普段の自分の行いを反省し、
ああ悪かった、今度からは改めようというその心が、その人の心を清浄にして、その人の心境を高める事が出来ると、御教祖様も申されています。
ですから、月に一度は、何らかの形で御教祖様の御神話に触れていただく事を、お勧めいたします。
寒かったり、暖かくなったりの繰り返しですが、お体に気を付けて、元気で御過ごし下さい。
-
令和五年一月御神話解説
-
皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
今年は、卯年です。卯年を御守護くださる神様は、文殊観音様で、非常に頭脳明晰で、叡智の優れた方ですが、
とても綺麗好きで、汚い事は大嫌いで、心身共綺麗な事は勿論、身の回りも散らかしたり、汚れていたりすると、働かれないのです。
それどころか、汚い所には魔が住み着く事になるので、今年は特に、身の回りを綺麗に整頓し、ゴミは放り出さないといけません。
この話を、念頭の挨拶で聞かせてもらったので、私は、家に帰って娘に話しました。
そして二人で痛く反省して、身の回りを片付けることにしました。
綺麗に整頓されると、物事はよく見えてきていろんな事がしやすくなりました。
娘は、失くしたと思っていた指輪と時計が見つかりました。
二つともとても大事にしていた物だったので、正に神様が働かれて見つけられたのだと思います。
今年は、本当に心を入れ替えて、御教祖様の御神話で、教えて頂いた通りに、身の回りを綺麗に整理整頓を心がけようと思います。
皆様も是非取り入れて頂ければと思います。
(理事長の年頭の挨拶は、今月の御神話解説の後に載っていますので、是非御読み下さい。)
新年を迎えるにあたり、今年も豊かに神様の恵みを頂きたいと願いますが、この世の徳は、火水木金土の五つとなっています。
現界の海山野の内、野の徳は水です。水が無くなると土地は痩せ、物は育たなくなり、人間で言うと、
母親の育てる力は痩せて子供を育てる力が無くなってくるのです。水の徳は心臓部です。
野に流れる川、水道、井戸、この係の神様は、水神様です。
大体の植物は、野に育ち、日本人に無くてはならないお米は、高いカロリーで、身体を養ってくれます。
山の徳は火で、この徳がかけますと母親を亡くする運命となります。
火水木金土、とこの五つのどれが欠けても、現界はスムースに行きません。
この徳は、宇宙を運遊して、天界から霊界を巡り、現界にと言うようにぐるぐると回っているのです。
この火水木金土の五つの徳は、五行と言って、木は火を生じ、火は土を生じ土からは金が生まれ、
金から水を生じて、水は木を育てると言うように、ぐるぐると回っているのです。
人徳のない人は、野の徳を頂くことは事が出来ません。
いくら神に仕え、先祖をお祭りしても、野の徳のない人は、自分の野の徳の無い事を知って、人徳を築かなくてはなりません。
現界で自分の価値を知り、隠徳を積めば、それが人徳になります。
昨今の様に、世界中の異変による大雨、土地の陥没、山崩れは、その国の不徳の表れです。
折角大祖大御神様を信仰するならば、自分の都合の良い見方をせず、自分の感覚に囚われず、我田引水を止め、
如何なる事も神様に合わせる修練をしなくてはなりません。
自分は、神の子なのか、動物人間であるかを、良く見極めて、都合の良い考え方を改めて進むならば、失敗も無く病気もありません。
成功を自分の手に握る事ができるのです。
食料一切は野の徳ですが、口にする言葉の一切も野の徳に入ります。
もし、あいつなんか死んだ方が良いと人をののしると、その言葉は物に対する不徳の十倍に計算されます。
先祖にかけたら、更に人にかけた十倍、神を罵ればそれは無限大の罪となり、天刑と言われる癌や癩病、精神病などの罪に落とされます。
ですから、十万円神様にお供えをして、自分はこんなに沢山神様にお供えをしたから、さぞかし沢山お徳を頂けるだろうと期待をしても、
一度その人が「腹が立つ。あんな奴死ねば良い。」と言ったとしたら、その人は差し引き九十万円のマイナス点が付いているのです。
しかし、その反対に、その人が助かる優しい言葉、その人が育つ言葉をかけたとしたら、その徳は十倍にも、百倍にもなるのです。
お花ですら、優しい言葉をかけると元気になると言われています。
皆様も是非、今年は、人に優しい生きる言葉を周りにかけて、口の徳、野の徳を積んでください。
そうすれば、きっと身の回りは、豊かになって、心が健やかに日々を過ごせる様になると思います。
本年は、最初に申し上げたように、身辺の整理整頓に努め、口の徳を積んで、皆様にとって、良いお年となります様に願っております。
本年もよろしくお願い致します。
(節分祭のお知らせ)
日時 令和五年二月三日午前一時より
場所 西宮大祖教本部教会
節分は、神様のお正月です。そして、神様の働かれる場所の抗体の時期でもあります。
ですから、節分の全五三日間は、神様のおさわりが無いと言われています。
厄年の方や、当たり年の方は、是非お祓いを受けて下さい。
当日は、豆まき、福銭拾いみかんまきなど、楽しい行事があります。
御善哉も召し上がって頂きます。どうぞ、御家族お揃いでお参り下さい。